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熊本地方裁判所八代支部 昭和30年(ワ)89号 判決 1957年12月20日

原告 吉村猛

被告 吉田正憲 外一名

主文

被告等は各自原告に対し金二七六、一五〇円を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を原告のその余を被告等の負担とする。

本判決は原告勝訴の部分に限り原告が担保として金三萬円を供するときは仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

原告主張事実中原告主張の日時、原告がその主張の三叉路で被告吉田正憲の運転する三輪車に接触し、その主張の傷害を蒙つたことは当事者間に争がない。成立に争のない甲第三、四号証(甲第四号証中速力の点を除く)、同じく乙第二号証(実況見分書)、同第四乃至六号証、当裁判所の検証の結果、証人田口市郎、同岩田一夫、同中本久男、同懸崎作造、同白浜極の各証言、原告本人尋問の結果竝びに被告吉田正憲本人尋問の結果の各一部(後記措信しない部分を除く)成立に争のない乙第七、八号証の各一部を綜合すると、本件事故現場は九州の西側を南北に従断して鹿児島に通ずる国道が熊本県芦北郡二見村下大野通称君が渕において、同郡百済来村方面に通ずる県道と丁定形に分岐する三叉路であつて、同所附近の国道は幅員約二十尺、県道は幅員約十四尺であるが、右県道は国道との分岐点において、末広りに幅員四十尺位となつていること、右国道を北方熊本市方向から南下して来ると、右三叉路の北七、八百米附近から右国道はS字型に屈曲して三叉路に至り、その間は西側は北流する大野川となり、東側は山魂が迫つていて見透しがきかず、交通上危険なところである上に、東側の山魂は右三叉路において、三十米位の高さの切り立つた崖となつているため、県道との見透は不可能であり、右三叉路の中心から十米位手前において県道の数米が見透されるに過ぎないこと、従つて、予て事故頻発する区域であるため、右三叉路の北方七、八百米の地点に「事故多発地点」の注意標識が立てられ、右三叉路の直前にも「屈曲あり」の警戒標識がありまた検問所も設けられていること、その三叉路附近に数軒の人家がある外人家はないが、右区域は国道と県道との分岐点であるため、車馬の交通は頻繁であること、原告及び被告吉田正憲はいずれも予て右三叉路を通行して、右地形を熟知していたものであること、本件事故発生当日原告はその所有の熊三七二二号自動二輪車を操縦して肩書百済来村の自宅から北方日奈久町方向に至るべく、前記県道を西進して同日午前九時三十分頃前記三叉路にさしかゝり、国道を横断して右折し、国道西側を北上する心組みにて、警笛も鳴らさず一旦停止して前後左右を見て安全かどうかを確めることもせず、漫然時速約十五粁の速度で国道に乗出し、国道の中央部よりやゝ手前まで進行して右折の姿勢に移つた際、該国道の北方数米前方に被告吉田正憲の運転する熊六―一〇七五七号自動三輪車が国道の中央部を三叉路に向け南進して来るのを認めたので、その侭進行するときは右三輪車が原告の操縦する自動二輪車の正面に衝突するか又は側面に衝突する虞れがあるものと判断し、急遽ハンドルを右に切り、該自動三輪車の左側に避譲しようとして僅かに進行した際右三輪車の左側タンクに激突してその場に顛倒し、右激突の際に左下肢を挾れたゝめ、その左足首から三寸位上部の脛骨、腓骨の複雑骨折の傷害を蒙つたこと、一方被告吉田正憲は同日被告会社所有の前記三輪車に同会社所有の貨物を積載し、訴外吉本敏宏を同乗させてこれを運転し、熊本市から人吉市に至るべく、右国道を南下して、前記時刻に前記三叉路にさしかゝつたものであるが、右三叉路にさしかゝつた際警笛も鳴らさず、漫然時速三十五粁の速度で進行しており、同三叉路において、前方約十米の地点で、原告が県道から国道に前記自動二輪車を操縦して進出したのを発見したに拘らず、何等急停車または徐行、避譲の措置を採らず、国道中央部を前記速度で疾走したゝめ、右三輪車の左側タンクに原告の右二輪車を衝突させ、衝突地点を二米位通り過ぎた後に至りはじめて急停車の措置を採つて右折し、数米進行して国道西側懸崎作造方店舖前に停止したことが認められる。証人吉田敏宏の証言、原告本人尋問の結果、被告吉田正憲本人尋問の結果、被告代表者吉本惣次郎尋問の結果、成立に争のない乙第七、八号証中以上の認定に反する部分は措信し難く他に右認定を覆すに足る証拠はない。ところで、「車馬は狭い道路から広い道路に入ろうとするときは、一時停車するか又は徐行して、広い道路に在る車馬又は軌道車に進路を譲らねばならない。」「車馬は、見とおしのきかない交さ点若くは坂の頂上附近、曲角、横断歩道又は雑踏の場所を通行するときは、警音器、掛声その他の合図をして徐行しなければならない。車馬は、こう配の急な坂、屈曲のある場所を通行するときは徐行しなければならない。」ことは道路交通取締法第十八条、同法施行令第二十九条に夫々規定するところであるから、本件原告吉村猛も前記二輪車を運転して前記三叉路において、狭い県道から広い国道に入ろうとするときは、右三叉路は前記認定のように見透しの利かない地点でもあるから、必ずや警笛を鳴らし、一旦停止した前方及び左右をよく注視して危険がないことを確め、或は極度に徐行して何時でも急停車又は避譲の措置を採り得る用意をした後でなければ、国道に入ることはできないものであり。かゝる注意をしないで、国道に入ろうとすれば、必ず前記事故が発生することが予想されることは自動二輪車の運転者である原告が当然知つていることであり、或は当然に知つていなければならないことである。してみれば本件事故の発生原因は、原告が右注意義務を怠り、警笛も鳴らさないで、漫然十五粁の速度で右自動二輪車を国道に乗入れたことにあるといえるから、本件事故発生の一半の原因は原告の右過失にあるものということができる。しかしながら被告吉田正憲は同日自動三輪車を運転して事故現場にさしかゝつたものであるが、前記認定の三叉路に至る国道は山と川に挾まれた屈曲した道路であつて見透しがきかず前記のように各所に注意、警戒標識が設置されている区域であるから、もともと徐行して進行しなければならない箇所である上に、前記三叉路は山にさえぎられて県道の見透は不可能であつて、三叉路の中心から十米位手前で県道の数米が見透されるに過ぎない地点であるから、前記法令の規定の趣旨からいつても、かゝる三叉路を通行しようとする自動三輪車の運転者は、警笛を鳴らすと共に徐行し、前方及び左右をよく注視して前記県道から不意に国道に入つてくる人、車馬が在つた場合には、直ちに急停車又は避譲の措置を採り得るよう萬全の用意をして進行し危害の発生を予防すべき業務上の注意義務を負担するものというべきであり、若し右注意を怠つて急速度で疾走するときは必ず本件のような事故が発生するかも知れないことは右三輪車の運転者である被告吉田正憲の当然知つていることであり、又当然知らなければならないことである。しからば本件事故は、原告に前記過失があつたとはいえ、被告吉田正憲が以上の注意義務を怠り時速約三十五粁の速度で国道の中央部を疾走し、警笛も鳴らさないで右三叉路にさしかゝり、右三叉路において、約十米前方に原告が県道から国道に前記二輪車を乗入れたのを発見したにも拘らず、これをよく注視することもなく前記速度で右国道を疾走したことによるものであつて被告吉田正憲は原告の運転する前記自動二輪車と衝突するまで全然急停車は勿論徐行、避譲の措置をとらず衝突後約二米進行してはじめて周章狼狽して急停車の措置を措ると共に右折して数米進行して停止したものであるから、右事故は明かに被告吉田正憲の故意若くは過失に基くものであるといわねばならない、右認定に反する乙第一号証の記載は当裁判所の採らないところである。そして、右事故の原因の一半が原告の前記過失に在り、被告吉田正憲の過失は原告の右過失と競合するものであるが、被告吉田正憲が右過失の競合によつて原告に蒙らせた損害賠償の責を免れるものでないことはもとより当然である。

次に証人吉本敏宏の証言、被告吉田正憲本人尋問の結果及び被告会社代表者吉本惣次郎尋問の結果によれば、被告吉田正憲は昭和二十九年一月二十七日被告会社に雇われ、自動三輪車運転の業務に従事し、昭和三十年一月十七日の本件事故発生時においては、被告会社に命ぜられてその所有の前記自動三輪車に被告会社所有の貨物を積載し人吉市に向け運搬中であつて、被告会社の事業執行中であつたことが認められるから、被告会社は被用者である被告吉田正憲が右事業の執行につき原告に加えた損害につき連帯して支払の責に任ずべきである。

よつて、原告の蒙つた損害額につき考えるに、証人白浜極の証言によれば、原告は昭和三十年一月十七日本件事故による傷害を受けた後二見村下大野一、五〇九番地白浜病院で、左下肢膝下十糎において、切断手術を受け、同日から同年二月二十八日まで入院治療をなし、治療費、入院費合計金二二、〇〇〇円を要したこと、証人徳田明見の証言によれば、原告は前記左下肢の切断により昭和三十年八月二十七日及び同三十一年十月十日義足を製作購入し代金合計二五、八〇〇円を支払つたこと、証人白浜極の証言の一部、同潮谷豊の証言、同証言により成立を認められる甲第十一号証を綜合すると原告は前記白浜病院を退院後も温泉治療を必要とし、昭和三十年三月十一日まで、八代市日奈久中町二八七番地旅館業訴外潮谷豊方に宿泊して宿泊料四、五〇〇円(食費を除く)を支払つたこと、成立に争のない甲第一、二号証の一部に、証人吉村明子の証言、原吉本人尋問の結果を綜合すれば、原告は本件事故発生当時年齢二十八歳の男子であつて、昭和二十五年三月三十一日日本獣医畜産専門学校獣医科を卒業後同年五月獣医免許証の下附を受け事故当時獣医業を開業し、毎月収二萬円位を得ていたこと、本件事故に基く傷害は二年後の昭和三十二年一月までに完全作業歩行可能となつたこと、原告は本件事故発生後同年十一月まで約十ヶ月間休業した後再開業したこと、再開業後完全歩行可能となるまでの月収は平均五、〇〇〇円乃至一萬円であつたことが認められる。してみれば本件事故により原告は右休業期間約十ヶ月間における毎月二萬円宛合計二〇〇、〇〇〇円、その後完全治癒に至らない期間中における昭和三十二年一月までの減収分少くとも毎月一萬円合計一四〇、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失したことが認められる。次に、証人岩本孝一、同吉川藤雄の各証言、成立に争のない乙第二号証、同第七号証によれば、原告が事故当時乗車していた前記自動二輪車は前記事故により大破したこと、右自動二輪車は原告が昭和二十九年六月一日中古品を代金一一五、〇〇〇円で購入し、事故当時の時価は六五、〇〇〇円位であつたこと、原告は昭和三十年六月五日頃解体車として代金一五、〇〇〇円で売却したことが認められるので、原告は右自動二輪車の破損により差引き五〇、〇〇〇円の損害を受けたものといえる。次に原告が本件事故により精神上多大の苦痛を受けたことは容易に推認し得るところであるから、被告等は原告の受けた右精神上の苦痛に対する慰藉料の支払義務があることも明かである。そして前示原告の年齢、境遇、本件事故発生当時の状況その他諸般の状況を考慮するときは右慰藉料の額は金十萬円が相当である。原告はその他原告が右傷害の完全治癒作業可能となつた後二十二年間毎月前記月収二萬円の三割に相当する減収となるから、右減収による損害の賠償を求めると主張するから考えるに、原告が前記傷害により歩行不自由となり健全に稼働していた当時の収入に比し、将来の収入が減少することは推測に難くない。しかしながら原告は右傷害の治癒後は義足によつて歩行し作業能力を回復しているものと認められまた原告は獣医師として知的業務に従事しているものであるから、右傷害により制限を受ける部分は他の一般労働者に比し軽度であると考えなければならず、原告本人の供述その他記録に現われた証拠によつては果して幾何の減収を生ずるのか未だ明かでなく、従つて現在の立証程度においては、将来の得べかりし利益を喪失したことによる損害の主張は認めるに由なきものといわねばならない。してみれば、被告等が原告に支払うべき損害賠償額は以上認定の原告の蒙つた損害額の総計金五四二、三〇〇円となる。しかしながら、本件事故発生の原因の一半が原告の過失にあることは前示認定のとおりであるから、損害賠償の額を定めるにつき斟酌すべきである。そして原告が事故の発生に加担した程度は被告吉田正憲のそれと同程度であると認められるので、被告等は原告の蒙つた損害の半額を支払う義務があるものと解するのが相当である。

しからば被告等は連帯して原告に対し原告の蒙つた損害の中半額の金二七六、一五〇円を支払うべき義務があるから原告の本訴請求を右限度で正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 西辻孝吉)

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